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【記者発表】極微細トランジスタ構造で1個の水分子の量子回転運動の検出に成功

〇発表者:
平川 一彦 (東京大学 生産技術研究所 附属光物質ナノ科学研究センター 教授/ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構 機構長)
杜  少卿 (東京大学 生産技術研究所 特任助教)
村田 靖次郎(京都大学 化学研究所 教授)
橋川 祥史 (京都大学 化学研究所 助教)
平山 祥郎 (東北大学 先端スピントロニクス研究開発センター 総長特命教授)
橋本 克之 (東北大学 大学院理学研究科 助教)

〇発表のポイント:
◆1個の水分子を包み込んだカゴ状のフラーレン分子(H2O@C60)に電極を形成して、分子を流れる電流を測定したところ、水分子の量子力学的な回転運動の検出に成功した。
◆電流を運ぶ電子と水分子が相互作用すると、水分子が2つの核スピン異性体(水素原子の各スピンの向きが異なる)間で揺らぐことを見出した。
◆単一の分子や原子の量子状態を制御し、また読み出すことができれば、それらに量子情報を担わせることができる。今回の成果は、分子の回転運動や原子の持つ核スピンの情報を電流で読み出すことに成功したものであり、将来的には1個の原子が持つ量子状態を情報の媒体とする量子情報処理の基盤技術につながると期待される。

〇発表概要:
東京大学 生産技術研究所の平川 一彦 教授、杜 少卿 特任助教、京都大学 化学研究所の村田 靖次郎 教授、橋川 祥史 助教、東北大学 先端スピントロニクス研究開発センターの平山 祥郎 総長特命教授、東北大学 大学院理学研究科の橋本 克之 助教を中心とする研究グループは、電流計測により水分子の回転運動の検出に成功しました。
近年、量子情報処理技術において、分子や原子の量子状態に情報を担わせることが検討されています。1個の酸素原子と2個の水素原子からなる水分子(H2O)は構造の単純さゆえ、量子技術への応用に適しています。しかし、これまでは、水分子同士が形成する水素結合のために、単一の水分子の量子状態を測定することは困難でした。
今回、1個の水分子がカゴ状のフラーレン分子(注1)に内包されたH2O@C60分子に、原子スケールのギャップを持つ電極を形成し、H2O@C60単一分子トランジスタ構造(注2)に流れるトンネル電流を計測することにより、水分子がフラーレン分子内で行なう量子力学的な回転運動の検出に成功しました(図1、2)。
水分子には、2個の水素原子の核スピンの向きが平行な状態(オルソ)と反平行な状態(パラ)の2つの核スピン異性体(注3)が存在することが知られていますが、H2O@C60単一分子トランジスタに流れるトンネル電流から、2つの核スピン異性体の状態が数分以下の時間スケールで揺らいでいることを見出しました(図3)。
この計測技術は、単一分子・単一原子が持つ量子情報を読み出すための基盤技術となるもので、将来的には1個の原子が持つ量子状態を情報の媒体とする量子情報処理技術につながると期待されます。

〇発表内容:
1個の酸素原子と2個の水素原子から構成される水分子(H2O)は、生命の維持に不可欠であるのみならず、宇宙の起源の探索にも関わる非常に重要な分子です。水分子には2個の水素原子が含まれていますが、それらの核スピンの向きが平行(オルソ状態)か、反平行(パラ状態)の2つの核スピン異性体が存在することが知られています。このオルソ−パラ核スピン異性体間では、エネルギー保存則と角運動量保存則を満たさないと、変換が起きないため、宇宙に分布しているオルソとパラの水分子の比率を計測することにより、宇宙の起源を探る研究が行われています。また、最近では量子情報処理技術において、分子や原子の量子状態に情報を担わせることが検討されており、水分子は構造の単純さゆえ、量子技術への応用に適しています。しかし、これまでは、水分子どうしが形成する強い水素結合のために、単一の水分子の特性を測定することは困難でした。
東京大学 生産技術研究所の平川 一彦 教授、杜 少卿 特任助教、京都大学 化学研究所の村田 靖次郎 教授、橋川 祥史 助教、東北大学 先端スピントロニクス研究開発センターの平山 祥郎 総長特命教授、東北大学 大学院理学研究科の橋本 克之 助教を中心とする研究グループは、H2O@C60分子を流れるトンネル電流の計測により、1個の水分子の量子回転運動の検出に成功しました。さらに、水分子が分子内を流れる伝導電子と相互作用すると、数分以下の短い時間でオルソ−パラ変換が起きることも見出しました。
本研究チームはこれまでに、金属電極に1ナノメートル程度の隙間を設け(ナノギャップ電極)、その隙間に1分子を捕えた「単一分子トランジスタ構造」を精密に作製する技術を開発してきました。この技術を用いて、京都大学が合成に成功した単一水分子をカゴ状のC60フラーレン分子内に内包したH2O@C60分子にナノギャップ電極を形成し、単一分子を経由して流れるトンネル電流の計測を可能にするとともに、ナノギャップ電極をアンテナとして用いることにより、テラヘルツ電磁波(注4)を照射した時の電流変化(テラヘルツ電磁波誘起電流変化)も測定しました(図4)。
その結果、C60カゴ分子内で水分子が振動するモードに加えて、約2 meV(ミリ電子ボルト)、5 meV、7 meV付近に特徴的なコンダクタンス(注5)の変化が現れ、このエネルギー位置に、H2O@C60分子は励起状態を持つことがわかりました。過去に行われた希薄な水蒸気の研究との比較から、約2 meVと7 meVの励起はオルソ状態の水分子の回転励起であること、約5 meVのピークはパラ状態の水分子の回転励起に対応することがわかりました。
ナノギャップ電極により、1個のH2O@C60分子の信号を測定しているにもかかわらず、オルソ状態とパラ状態の信号が同時に見えたことは、測定時間よりも短い時間スケールで、水分子がオルソとパラ状態の間を揺らいでいることを意味しています。これまでの研究から、水分子をC60カゴ分子に閉じ込めると、水分子−C60カゴ分子間の相互作用により、約10時間の時定数でオルソ状態からパラ状態に変換することが知られています。今回、H2O@C60単一分子トランジスタ内で数分以下の時間スケールで、オルソ−パラ変換が起きるということは、スピンの揺らぎを持って分子内に入ってくる伝導電子と水分子の相互作用によるものと考えられます。
今回、単一分子を経由して流れる電流の計測により、水分子の中の水素原子の核スピンに関する情報を読み出すことができたことは、原子や分子を用いた量子情報処理技術に大きな進展をもたらすとともに、物理、化学、生物学、薬学などの基礎から応用に関わる広い分野に大きな発展をもたらすと期待されます。

本研究は、科学研究費補助金基盤研究S「単一分子トランジスタのテラヘルツダイナミクスと量子情報処理技術への展開」(研究代表者:平川 一彦 東京大学 生産技術研究所 附属光物質ナノ科学研究センター 教授)などの成果として発表するものです。

〇発表雑誌:
雑誌名:「Nano Letters」(2021年12月2日オンライン版)
論文タイトル:Inelastic electron transport and ortho-para fluctuation of water molecule in H2O@C60 single molecule transistors
著者:Shaoqing Du*, Yoshifumi Hashikawa, Haruka Ito, Katsushi Hashimoto, Yasujiro Murata, Yoshiro Hirayama and Kazuhiko Hirakawa*
DOI番号:10.1021/acs.nanolett.1c03604

〇問い合わせ先:
東京大学 生産技術研究所 附属光物質ナノ科学研究センター
教授 平川 一彦(ひらかわ かずひこ)
Tel:03-5452-6260 Fax:03-5452-6262
E-mail:hirakawa(末尾に”@iis.u-tokyo.ac.jp”をつけてください)
URL:http://thz.iis.u-tokyo.ac.jp

〇用語解説:
(注1)フラーレン
フラーレンは炭素原子が球状の構造を成している化合物の総称で、ダイヤモンドや黒鉛、カーボンナノチューブと同様に炭素の同素体である。フラーレンを代表する化合物はC60で、60個の炭素原子が12個の五員環と20個の六員環を構成しており、サッカーボールのような形をした分子である。フラーレン分子の内側は中空になっており、このナノ空間に様々な分子や原子を内包することができ、新しい機能を持った分子を構成することができる。

(注2)単一分子トランジスタ構造
1ナノメートル程度の間隙(ギャップ)を形成した金属電極(ナノギャップ電極)で1分子を捕獲するとともに、ゲートと呼ばれる電極を形成した、1分子をチャネルとするトランジスタ構造。電流は分子を経由して流れ、それをソース・ドレイン電圧(ナノギャップ電極間に印加する電圧)、ゲート電圧で制御することができる。電子間の反発力のために、電子は分子内を1個ずつ流れ、単一電子トランジスタとして機能する。

(注3)核スピン異性体
同じ化学構造を持つ分子なのに、構成元素の原子核の持つスピンの向きの違いにより、異なる分子と分類されるもの。今回の場合、水分子H2Oは2個の水素原子が構成要素となっているが、2個の水素原子が持つ核スピンが平行な場合(オルソ(ortho)状態と呼ばれる)と反平行な場合(パラ(para)状態と呼ばれる)があり、それらは核スピン異性体と呼ばれる。

(注4)テラヘルツ電磁波
周波数がおおよそ100 GHz(ギガヘルツ)から10 THz(テラヘルツ)の範囲にある電磁波で、マイクロ波と赤外光の中間の周波数領域に位置する。分子、気体、液体、固体の状態にあるさまざまな物質と相互作用し、その構造や機能の解析に有用であるとともに、安全安心のためのイメージングやバイオ、医療、農業・産業応用などへの展開が進められている。

(注5)コンダクタンス
コンダクタンスは、電圧を印加したときの電流の流れ易さを表す電流と電圧の比例係数。単一分子トランジスタ構造では、分子の振動や回転運動などが励起されるとコンダクタンスに微小な変化が現れる。

〇添付資料:
図1_hirakawa.jpg
図1 (a)1nm以下のギャップを有する電極を単一H2O@C60分子に形成し、さらにゲート電極も備えた単一分子トランジスタ構造(single molecule transistor;SMT)の概念図、(b) 水分子の模式図。2個の水素原子が持つ核スピンの向きにより、オルソ水分子(左)とパラ水分子(右)の2つの核スピン異性体がある。

図2_hirakawa.jpg
図2 (a)H2O@C60単一分子トランジスタの伝導度(コンダクタンス)をゲート電圧VGとソース・ドレイン電圧VDSの関数としてマッピングしたもの。赤色の領域がコンダクタンスが大きな領域で、矢印で示したところに平行な線が見える。この線がH2O@C60分子中の励起状態に対応する。図中のNは単一H2O@C60分子中に存在する伝導電子の数を表わし、N = 0と思われる。(b) (a)における点線に沿って、VDS > 0の領域のコンダクタンスをプロットしたもの。図では、VDSをエネルギーに変換してある。理論計算(図中の赤いライン)との比較により、10 meV以上の領域に見えるピークは、C60分子内で水分子が振動するモードに対応する。一方、10 meV以下の領域に見える3つのピーク(赤矢印)が今回注目している信号であり、水分子の量子回転励起に対応する。

図3_hirakawa.jpg
図3 図2における10 meV以下の部分を拡大したもの。2 meV, 4.2 meV, 7.2 meV付近にピークが見られる。過去の水分子の回転モードの理論計算や極希薄水蒸気の実験、多数のH2O@C60分子の集合体の実験などから、2meV, 7.2 meV付近のピークはオルソ水分子の回転励起、4.2 meV付近のピークはパラ水分子の回転励起に対応することがわかった。図中の準位の表記は、水分子の量子力学的角運動量状態を表す。今回、1個の水分子を測定しているにもかかわらず、オルソ状態とパラ状態が同時に観測されたということは、測定にかかる時間よりも短い時間スケールで、オルソ状態とパラ状態が揺らいでいることを示している。

図4_hirakawa.jpg
図4 H2O@C60単一分子トランジスタにテラヘルツ電磁波を照射した時の電流変化のスペクトルを示したもの。測定では、金のナノギャップ電極をアンテナとして、テラヘルツ電磁波をH2O@C60分子に集光するとともに、同じナノギャップ電極で電流の変化も計測する。テラヘルツ測定においても、トンネル電流測定と同様にオルソ水分子、パラ水分子の回転励起が観測される。10 meV以上のブロードなピーク構造は、水分子がC60カゴ分子内で振動するモードに対応する。